97回浅間ミーティング コンクールデレガンスのバイク達

441582035_7584616001619599_1577842101648662777_n.jpg今回の浅間ミーティングには怪我の療養のため参加していません。参加していないのにブログを書こうと言う暴挙に出ております。

写真は全部浅間のネット管理人 Kさんにお願いして譲っていただいたもの。 オーナーさんのエピソードは、近しい仲間 から聞いたものしかありませんので その辺はご容赦を。

また、記事の1部は平石画伯との協同出版である拙著「駆動」より部分引用しております。「駆動」も併せてお読みいただければ幸いです。

1TRIIUMPH TIGER CUB T20 200cc 1960

TRIUMPHは創業130年に及ぶ英国の老舗。特にT120ボンネベルは、ホンダのCB750Fourにたこ殴りにされるまで、米国では 圧倒的なシェアを誇っていました。

その650 cc ボンネベルの風格をもったまま、199cc単気筒OHVを積んだのがT20タイガーカブ。カブだから、バリエーションにスーパーカブとか、スポーツカブとかあるのが面白いですね。

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でも私にとっての一番の思い出は、これが元々中沖初代理事長の基にあったという事。小柄だった氏には丁度良いサイズだったんでしょうね。

この車両は1960年式ですが、1992年に和歌山のKさん(長年にわたり英車の集いを主催されていた方)にレストアを依頼し1993年暮れに手渡された車両です。 浅間にも1度か2度位参加しています。

その後に茅ヶ崎の会員さんに渡りましたが十数年間ガレージの奥にしまわれた後、数年前に現オーナーに託され、蘇りました。 エンジンは後期型に交換されていますがオリジナル感の強い車両です、塗装は中沖さんの指示によりウレタン塗装されています。

今は現オーナーというより、信頼できる仲間の元にあるので、安心です。ただ、現オーナーは体格も大きく、イタ車乗りなので、英車にはなじみが薄い。誰か信頼できるオーナーを探しているようです。

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2VELOCETTE VICEROY 250cc 1962

ヴェロセットが196064の4年間だけ生産していたスクーターです。総生産台数は700台以下と言われていますから、大変珍しいモデル。

とってもコンパクトな水平対向の250cc15馬力の2気筒2ストロークエンジンを前方に置き、長いドライブシャフトで動力を後輪部分に持ってきて、そこにクラッチとミッションがあります。そんな訳でスクーターといってもクラッチ付き、右側のペダルがギアで、普通のオートバイと同じ操作法。巡航速度が65mph105km/h)でした、

エンジンとミッションの間、レッグシールドの下にガソリンタンクがあるなど、低重心設計。始動はセルモーターで、スタータースイッチは足で操作します。今の時代なら、結構人気が出たかも知れませんね。

実は、ヴァイスロイがデレガンスの出るのは 2度目第69回の エレガンスでグランプリをとっています。車両のレア車加減から、同じ個体と思われます。そのときの写真を見ると、フロントにもナンバープレートがあるので、 英国での法規上はスクーターの分類からは外れるようです。

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3・ライラックLS-38 247.2cc 1959年(ランサーマークⅤ)

ライラックを作った丸正自動車製造はホンダの前身であるアート商会からの暖簾分けのかたちで、1938 年に創業。

当初は、整備や点検を軸とする自動車修理工場と輸入及び国産の自動車部品販売を行っていましたが、戦争による空襲で工場も取引先も焼失、 廃業に追い込まれます。

終戦後、1946 年に事業を再開、自動車修理販売及びトラックボディの製作を始めるけど、戦後の二輪車ブームに乗って自動二輪車製造を開始します。当時の国産二輪車に共通する欠点がドライブチェーン。材質や製造方法の問題で、耐久性が低い。それならばと、思い切ってチェーンを使わないシャフトドライブにしてしまおう。幸いドイツ製オートバイに良いお手本がありました。

それをチャンネルフレームに搭載、自動変速機構を備えたML 150cc を完成させ「ライラック号」の名前で19513月に発売。 一時は丸正ビルが建つほどの成長を見せますが、1950 年代後期は二輪車メーカーごとの技術開発・生産能力と営業力に著しい格差が生じるようになり、日本各地に膨大な数が存在していた中堅・零細のオートバイメーカーは淘汰の圧力を受ける事になります。1966 年には全ての事業を閉鎖し、 丸正自動車は清算されてしまいました。

このライラック・ランサーマーク VLS38 1959 年発売、空冷 OHV 247ccV 2 気筒 20.3ps、独クトリア社のベルグマイ スターをライラック独自の技術で大改造した、縦置き 66 V ツイン。

非常にまとまりの良いデザインで、他のライラックと同様、 外側に補機類やワイヤーの類が殆ど見られない。直接のライバルは YDS-1 や、CB72 と言う事になるわけだけれど、スペック的に は負けるものの、バランスは良く,決して遅いバイクではありませんでした。

技術的にはひけを取らなかったものの、良い相棒には恵まれず、技術者経営者の悲劇は、知るほどに物悲しくなります。

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4・目黒製作所 メグロジュニア S-3 249cc 1958

 目黒製作所は 1924 年に東急目黒線不動前駅近くで創業「鈴木鉄工所」として、1925 年に企業化。1926 年に立地に合わせて「目黒製作所」を名乗るようになりました。

太平洋戦争が始まると、被災を避けるため栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)に工場を移します。(現在烏山には目黒のミュージアムカフェがあります) 当初は自動車修理とオートバイ(トライアンフ)の部品販売を行っていましたが、1932 年にエンジンの製作を開始、1937 年、最初のメグロ号 Z97(4 ストローク、単気筒、OHV500 cc)を発売し好成績を残します。

大戦の激化とともにオートバイ製造は中断、 航空機の部品を製作するようになりますが、戦後は再びオートバイ事業に戻り、免許制度の後押しもあって ジュニア系250cc シリーズが大ヒット。メグロの 250 は、オート三輪で有名な「くろがね」の創業者が設計。S2 ではこれまでの3速に代わり、4速ロータリーミッションが初採用されます。ロータリーミッションはメグロの発明だったんですね。その中でも最も人気が高かったのが、S3。タイヤの半分近くを覆うフェンダーやサドルシート、大型マフラーなど堂々たる姿で人気を博しました。

戦前から続いた短気筒 500cc OHV Z シリーズも好評で、一時期はSシリーズとZシリーズ合わせて年間15,000 台を生産し、 浅間火山レースでもセニアクラスでメグロ RZ が 1 位、2 位、4 位、5 位を独占するなど、日本のトップブランドでした。 でも世の中は小型車ブーム。ホンダに代表される戦後のメーカーに押されて業績が悪化。川崎航空機工業(当時)と提携する事になります。

ところが提携してはみたものの、メグロとカワサキでは賃金格差があり労働争議が起こるなど、上手くいかない。 カワサキがメグロの作ったバイクを全車買い取るなどの対策を打ったけれども業績は上向かず、結局1964 年に倒産。カワサキ が借金を全部肩代わりしてブランドを継承することになります。

カワサキ太っ腹!と思ったら、東京オリンピック用に白バイのバックオーダーが 500 台分残っていたからだそうで、その白バイ「メグロスタミナ KP」が、横浜で最後に作られたメグロ(作ったの はカワサキ明石工場からの出向社員)と言うことになります。その後カワサキが 明石で作るようになってから、徐々に人気を回復して、現在の W シリーズに発展 していくのだから、皮肉な話ではありますな。

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5VELOCETTE MOV 250cc  1937年・今回のグランプリ

ベロセットの4ストローク、単気筒OHV MOV1933年から戦中1948年まで製造されました。

1933年に、ベロセットはOHVモデルを導入することを決め、それは1930年から引き続く世界恐慌下で、いかにして製造コストを下げ、且つより手頃な価格帯のモデルを製造するかを突き詰めた結果でした。それまでのKシリーズは製造コストが高く、また高度な職人の技術を必要とするベベルギヤ(傘歯車)のカムシャフトを備えていました。

そこで、よりシンプルで、より早く製造でき、ま高度な職人技術を必要としないOHVエンジンが次のモデルに選ばれました。そのOHVエンジン最初のモデルが250ccMOVでした。ボア・ストロークは共に68mm「のスクエア」。  MOVはすぐに成功を収めました。当時としては高速の部類に入る126km/hの最高速、加えて安定感のあるハンドリングなどが好評を博しました。

このMOVの成功を受けてすぐに、ストロークが伸び350ccとなった後継モデルMAC1934年に、さらに排気量の増した500ccMSS1935年に発表されました。

高度な製造技術を必要としない、という事は、メンテナンスも楽。という事にもつながるので,そのあたりも人気を呼んだ理由の1つかも知れません。

この車両はオーナーが40年前に入手、最近はしばらくガレージの奥に眠っていたそうで、今回は始動にちょっと手間取ったようです。

それにしてもオーナーのさん、94回のラパイドといい、このMOVといい、黒に金色が似合うんだよねえ、それだけでも羨ましくなります。

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6・ブリジストン 90D 89cc 1967

ブリジストン初のスポーツタイプとも呼べるモデル(一応実用車のくくりでもあるが)1964年に発表されたこの90EA1。当時のカタログを見ると,なかなかの面白いんですな。

「クラッチを入れた瞬間から200m走るのに13秒フラット!90ccクラスで最高―ブリジストン90のずば抜けた加速性能です。時速20km95kmをトップギヤーのままで連続加速、中・低速ではもちろん余裕たっぷり。

90cc125ccのだいごみを実現したメカニズムとダイナミックな風格。小気味よいスポーツ性。リッターあたり75km走る経済性は実用車としても最高の魅力です。」(原文のまま)

速いんだか安いんだか、突っ込み処満載のコピーですな。

2サイクル混合給油の88cc、ロータリーディスクバルブで7.8psギアは4速ロータリー。と、まあ普通という気がします。まだまだ欠品も多く、レストア途上と言うところでしょうか。

それよりも普通じゃ無いのはこのオーナーさん。ご存じ水戸藩カブのご老公ですが、御年89歳になったばかりで、来年の5月にゃあ卒寿ですよ!まだまだ姿勢良くシャキッと立ってらっしゃる。何時までも元気でいてもらいたいものです。今回はオーナーに気をつかってか,車両に気をつかってかは分かりませんが、デモ走行は無しでした。

ところでじっちゃんを「ご老公」って呼び始めたのは,別冊サイクリストのFさんなんですってね。知らなかった。

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7・穂高工業所 ホダカ125MX 124cc 1974

穂高工業所の設立は1950年(昭和25年)。当初は自動車用トランスミッションのメーカーだったが、やがてバイク用エンジンの製造を始め、東京の山口自転車や名古屋のトヨモータースなどにエンジンやトランスミッションを納入していた。ただし、歯車などの重要部分を除く部品の80%は外注であり、穂高工業所自身はそれらの外注部品を自社工場で組み立てて製品とするアッセンブリメーカーでした。

1954年ごろから一時は150社を数えたオートバイメーカーの淘汰が始まり、穂高工業所の取引先であったトヨモータース、ロケット商会北川自動車などの倒産・廃業。しかし穂高工業所の最も大きな納品先であった山口自転車はそんな中でもがんばっていて、最盛時には山口自転車に月4000台のエンジンを納入。これは当時の穂高工業所の全生産台数の7割を占める。

名古屋に乱立していたバイクメーカーが次々と消えていく中でも穂高工業所は数少ない生き残ったメーカーだっけど、1963年、頼みの山口自転車が突然倒産。大量のストックの納品先を突然失った穂高工業所は台湾にこれらを輸出してストックを処分すると同時に、新たな取引先を探し始る。そこに救いの手を差し伸べたのが、アメリカで山口自転車のオートバイを輸入販売していた輸入商社である PABATCO。販売網だけを残して突然売るべきオートバイを失ってしまったPABATCOは、山口自転車のオートバイのエンジンとトランスミッションを作っていた穂高工業所に完成車体の生産を持ちかける。

こうして1964年に穂高工業所とPABATCOの共同開発による一号車であるホダカ ACE90(空冷2サイクル単気筒90cc8.2馬力)が完成し、5月にはアメリカに出荷。ACE90ワイドレシオ4段トランスミッションを持つトレールバイクで、軽量な車体とパワフルなエンジンを活かして高い悪路走破性を発揮した上に市街地走行にも適した高性能なモデルだった。また部品も高品質な物が使われており、耐久性も高かった。これらの要素がアメリカのユーザーに受け入れられ、他社製品に比べて高価であったにもかかわらず次第にファンを増やしていき、1966年には生産台数1万台を達成。

ホダカは手頃な排気量に加えて手を入れるには好都合なシンプルなメカニズムであったことからレース用のベース車としても好評で、モトクロスからロードレースまであらゆるカテゴリの入門用バイクとして選ばれ、PABATCOも豊富なキットパーツを用意していた。1968年にデイトナで行われたロードレースでは、トレールバイクであるにもかかわらず100ccクラスでは大差で優勝、125ccクラスでも4位に入るという大活躍を見せて話題となる。PABATCOでは多くのホダカが購入と同時にレース用に改造されるのを見て1969年にモトクロッサー 100 Super Rat を、1970年にはACE100にモトクロス装備を装着した ACE100B を発売。こうしてACE90をベースとしたモデルは125ccの公道仕様 Wombat シリーズとモトクロッサーの Combat シリーズまで続く。

ところが、1970年代になるとユーザーは次第にもっと大きなオートバイを求め始めた。そんなトレールバイク市場に日本の4大メーカーやヨーロッパのKTMといったメーカーが参入してきた。ホダカも250cc 250ED やトレールモデル 250SL で迎え撃ったが、従来モデル同様に耐久性を重視した結果他社製品に比べて軽快さが失われ、次第に苦戦していく]

そして1977年、PABATCOの親会社であるシェル石油が突然事業の廃止を決定。最大の市場を失った穂高工業所は完成していたストックをやむなく日本国内で販売するが、日本では型式認定を受けていなかったために公道走行ができず、ごく少数しか売れなかった.

結局1991年、全ての業務活動を停止する事になる。

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と言うわけで今回の125モトクロッサーは、純粋なコンペティションモデルだから、10年、20年と乗り続ける事は全くの想定外。特に2ストの場合は維持が難しいのだけれど、ホダカの場合、アメリカにはまだまだ熱心なファンがおり、部品の要求を続けているのがラッキーですね。

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8・カワサキ W1S 624cc 1969

目黒製作所製の 500cc2 気筒のKシリーズを原形として 1965 年に誕生したのが、カワサキメグロK2。当時のカワサキで 2 輪車部門は、不採算部門も良い所で、メグロの項目でも書いた、お上との義理が無ければ多分んなくなっていたと思う。

まあ、違う意味で「社運を」かけていたことは確か。しかしながら、ビッグバイク最大の市場であるアメリカじゃあ、K2 はパワー 不足も良い所、何しろライバルのトライアンフ T100BSAA10 と言った 650 cc OHV2 気筒には勝負にならない。結果独自開発の新エンジンは諦め、K2 をベースに可能な限りパワーアップを図る手段が取られた。

そして同年 10 月、X650 を東京モーター ショーに出展させる。K2 のシリンダーを極限までボアアップした結果の 624 cc。英国勢に何とか追いついたわけだけれど、首都高速や名神高速道路の完成部分開通が続き、国内でもそれに対応できるバイクの需要に乗っかったとも言えますね。

そして、登場したのがダブワンの愛称で親しまれる W1。この国内最大排気量マシンは、47 ps /6500rpm の最高出力を誇り、K2 よりも出力で11 ps、増加し、最高速も165 km /hから180 km /h へとアップ。デザインも一新された。マシン全体のイメージを左右するガソリンタンクは当時アメリカで流行っていたキャンディトーンを採用し、アメリカで市場調査を行なった結果、メインカラー は赤を使うことに決定した。こうして満を持して市場に送り出された W1 だが、アメリカでの評判は最悪。あまりにも振動がすさまじく、クレームが相次ぎ、最終的にW1W2SSをもってアメリカから撤退することになる。

筆者世代で「ダブワン」と言えば WIS の事、中古車市場で結構大量に安価で出回っていて、一度は乗ったことがあるバイクではあるのだけれど、この振動って奴はすざまじく、ウインカーがゆるんで落っこちるのはカワイイ方で、全体重を乗っけてのキック始動から、アイドリング状態でメインスタンドでをたてて放っておくと、振動で勝手にどっか行っちゃう。駐車場にあって筈が道路にいた。等言うのはしょっちゅう。高速を走っていると、手の中てのハンドルが振動でどんどん太くなって、にぎるからつかむになっていく。別体メーターになった W1Sでは針が読み取れない。

こんなバイクでも好き者は「味」で片付けちゃうんだから、日本のマニアは優しいというかオタクの極みというか。かくゆう筆者も、バトル・オブ・ツインで直管のWが直線を駆け抜けて行く音には痺れたものですがね。

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9・ホンダ レブル 249cc 1985

レブルは、1985年に発売され、国内では1998年末施行の平成10年自動車排出ガス規制で生産終了となり1998年で販売も終了。その後も海外では,モデルチェンジを重ね,今でも生産されている人気のモデル。

今回登場したモデルは1985年年に発売されたモデルと言うことなので、搭載されるエンジンは250Tシリーズと共用する排気量233㏄のMC06E空冷4ストロークSOHC2気筒の筈なんだけど?

これ、一見するとアメリカンのように見えるけれど、実はロードスポーツ。フレームは従来品の応用では無く、専用のセミダブルグレードル。ステップ位置も真下で、アメリカンに良くあるような前に投げ出したスタイルではありません。その上タイヤが前後同サイズだったり、キャスター角も普通だったりするから,アメリカンでは無く,シート高の低いロードスポーツだと言われるのは,このあたりから来ているらしい。

まあ、細かい理屈はともかく,とっても乗りやすい人気のバイクではあります。1つの形としてこれも有りなんでしょうね、なんせ「Rebel レブル」(反逆)ですから。

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10・MVアグスタ F3レーサー        798cc 2019

MVアグスタ F−3 というのは復活したアグスタの3気筒モデル。ということです。排気量798ccですから、F3 800。さらにレーサーで、2019年製ですから、スーパースポーツ世界選手権に出場していたマシンそのもの。という事になるんだけれど、詳細は,オーナーの話を聞いていないので分かりません。このバイクが浅間に来るまでには、面白いエピソードがたくさんありそうなのに。

やっぱりミーティングに行かないとダメですね。すいません。

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