98th 浅間ミーティング スピリッツ オブ 2サイクルのオートバイ

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今回のスピリッツは2サイクルのオートバイ。諸事情あって参加人数も少なそうだし、今やレアな2ストローク。スピリッツも寂しくなるかもな?と思っていたら、とんでもないエントリー総数20台(1台キャンセルで19台)それも中々レアなモデルが揃いました。


1Royal Enfield RE-126 125cc 1947

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そもそも、オートバイをパラシュートで落っことして地面についたらすぐ走り出せるようにしよう。などという事を考え出すんだからさすが暗黒面ならぬ英国面で有名なイギリス。開発開始当時は無線連絡の信頼性が低く、素早い伝令の必要があったから。というのは分かるけどね。

そして開発を依頼したのが、ユダヤ排斥で閑だったドイツのDKW。試作を繰り返し、ランカスター爆撃機の爆弾倉から落っことしたんだけれど、上手くいかなかったらしい。そもそも、1947年には戦争は終わっているし、REと言うもは民生用モデルの記号だから,一般に払い下げたりしていたんだね。
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2ストローク125ccで、画像でも分かるようにハンドチェンジだから、走っている間はさぞや忙しいだろうと思ったけれど、デモランの様子を見ていると結構トルクフルでそこまで大変では無い様でした。でも,やっぱり不評だったらしく、後期にはフットチェンジに改良されています。

ところでこのオートバイをパラシュートで落っことす。というコンセプトにはこだわりがあったらしく、BSAバンタムに引き継がれます。バンタムと言えば、元はDKW RT-125 、という事は我らがYAMAHAYA1のベースですから。こいつは赤とんぼの遠いご先祖様ということになりますね。


2・東京発動機 PK54B 125cc 1954

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東京発動機つまりトーハツのPK54元々は150ccだったけれど、1954年から、世界グランプリのクラス分けや、原付の排気量拡大等の制度改正で、125ccが主流になったためPK54Bとして出した125cc版。トーハツ本社は「日本初の125cc!」と謳っているけれど、原付の制度改正のため、1954年には各メーカーから125ccがたくさん発売されている。まあ、発売月までは調べてないので、初めてなのかもしれないけれど。
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アポロが良いですね。1次減速はベルトの二本掛けだそうですが、長さが揃わなくて片方しか効いていないそうです。それにしても同じ125ccでも車格が随分違うものですね。なお、ナンバープレートは,無いと寂しいのでそこら辺にあった奴を適当に付けただけだそうです。もちろん公道は走りませんから。


3・スズキセルペットMA 50cc 1960

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両側の写真があると分かりやすいのですが、このバイクキックペダルがありません。セルオンリーだからセルペットなのですが,このバイクについては、平石画伯との共著の「駆動」に詳しく書かせていただきましたので,そちらから引用させていただきます。手抜きじゃあ無いよ。どちらかというと宣伝。

以下引用。

スズキは元を辿れば織機屋さん。創業は1909年だから100年を越える老舗。戦争でボコボコにされた後、復活。紆余曲折を経て、1952年に2サイクル36ccの自転車取り付け型エンジンの「パワーフリー」を発売。53年に60ccの「ダイヤモンドフリー」を発売。バイクブームに乗って躍進、翌1954年に鈴木自動車株式会社を設立。1955年に4ストローク125ccの「コレダ号COX型」を発売、同年には2サイクル360ccの軽自動「スズライト」も発売。と、良い事ばかりをならべるとこうなります。 1958年に発売されたスーパーカブに対抗すべく発売されたのが、このセルペットMA。デザインはホンダのC310からペダルをとったようなデザインというかそっくり、C310の画と比べてみてください。それもそのはずで、どちらもMSU・クイックリーMopedが元になっているからですね。こんな感じで当時は大ヒットしたもののそっくりさんがたくさんありました。カブがヒットすると、各社からカブのそっくりさんがいっぱい現れ、ヤマハのメイトとか、セルペットから生まれたスズキのバーディーとか色々ありました。

余談ですが,当時商店主だった私の親父は、近所にあったバイク屋さんから買ったセルペットを始め、不人気車種が結構あって、父にカブの方が良いのでは?と言ったら「近所づきあいってなあそういうもんじゃ無いんだ。」って言われました。だから子供のころはレアな実用車ばかり店にあったのを覚えています。

2ストローク49cc 4psのエンジンをプレスフレームに積んで、フロントにボトムリンク、リアにツインショック。サドル型シート、リアキャリア、レッグカバーを装備し、タイヤは前後とも17インチ。最高速度80/hぐらいは出たそうです。ここまではカブそっくりなんだけど、セルペットの最大の特徴は、セルのみ,キック無しだったこと。多分「セルペット」という名前の由来もそれだったんだと思います。けれど、この「セルのみ」というのが結構くせ者で、当時の品質では、セル始動のみというのはバッテリーに負担が大きく、出先で上がって始動不能。帰って来れないというトラブルが続出。その上チョークも電磁式だったからなおさらたちが悪い。今だったら、キック付いてるけど使ったことが無い。なんてライダーも多いのにね。

先進的な考え方に品質が追いつかないってのは良くある話で、翌1961年には、セル・キック併用タイプの「MA-2」にマイナーチェンジしました。さらに、キック始動のみの「MA-C」が追加発売されたりしています。1960年に法改正があって、原付1種が許可制から免許制へ移行。最高速度も30km/hに制限され、2人乗りもダメになっちゃいました。この時期の原付に、52ccとか、55ccとかいった半端な排気量の、無理矢理黄色ナンバーのバイクが色々なメーカーから発売されたのも、この法規制が原因。原付と殆ど変わらない値段で買えて、2人乗りが出来て、30km/h越えても捕まる事が無いのだから、そりゃ飛びつくわけです。まあ、70年も前の法規制に今でも縛られているのも困ったもんです。やっとこさ出力制限した上で、原付免許で125ccまで乗れるようになるようですが、最高速や、2人乗りなどどうなるのでしょうね?現在の交通の中に、あんまり遅いのが紛れ込んでくると、その方が危険だとは思うのですが。


4・山口自転車動車工業 山口オートペット ファイターF1 55cc 1962

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エントリーリストには車名が無かったのですが,形状、排気量、識者とのディスカッション等からファイターF1と判断しました。また会社名も違っています。間違いでしたらごめんなさい。

山口自転車は1914年創業の老舗。戦前は、自転車の製造メーカーでしたが、1953年から、ガスデンやホダカのエンジンを積んだオートバイの製造を始めます。1時は四大メーカーと互角の販売合戦(50ccのオートペットは月産10万台以上売れた。)を繰り広げたんだけど、大排気量車の販売不振などで1963年に倒産。やっぱり自社製エンジンを持っていなかったのも大きかったのかもね。その後丸紅の傘下になって「丸紅山口株式会社」に改称。その後色々あって自転車メーカーの「アサヒサイクル」として現存しています。

ファイターF1は、セルペットの項にも書いた1960年の制度改正に合わせる形で排気量を55ccにアップ、2人乗りを可能にしたモデルと言うことになります。元のメーカーが無くなっているレア車ですので、オリジナルのまま現存している車両は相当少ないみたいで、同年代の他車からパーツを流用しているものも多いのですが、どうか大事にしてやってもらいたいものですね。


5・東京発動機 トーハツランペットCA2 49cc 1962

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ご存じ水戸のご老公、今回はピッカピッカのトーハツで登場です。じっちゃんもう90歳だよ。さすがにもう自分で乗るのはやめて,雇われライダー?が走りました.浅間には最年長車賞ってのがあって、参加車+ライダーの年齢で決まるのですが、参加者全員違っていてもじっちゃんだと納得しちゃうんで、今回受賞は辞退だそうです。

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ランペットCA2は、スポーツイメージの強いトーハツの市販レーサー、ランペットCR2のレプリカモデル。最高出力6.8PSは当時の50ccとしては驚異的です。

1964年に製造を終えているレーサーレプリカですよ。部品探すのだけでも大変だろうに、そこは水戸藩カブのお力で、こんなに素晴らしいコンディションを保っていられるのも、ご老公のお人柄によるのでしょうね。最近顔を出さないと怒られたからではありませんが、あんまり持ち上げて、勘違いする方が増えると困るので,この辺にしておきます。


7・新三菱重工業 SILVERPIGEON C-140 124cc 1964

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太平洋戦争の敗戦に伴い、軍需産業だった各社が平和産業としての再出発を図りました。シルバーピジョンは、1946年に製造を始めたスクーターのシリーズで、中日本重工業新三菱重工業三菱重工業の社名変更を経ながら1964年まで製造されたスクーターのシリーズです。車名の由来は平和の象徴である「ハト」から来ているそうで、同じく中島飛行機→富士重工→SUBARUのラビットシリーズとともに戦後日本の庶民の足として活躍しました。

初代のC-10は米国サルスベリー社のスクーター「モーターグライド」をベースに開発された112cc2ストモデル。

その後各社がスクーター市場に参入してくるけど、19501964年の間は平均して約45%のシェアを保ち続けて、モーターサイクリスト誌のベストデザイン賞を受賞したりして、好評なシリーズとなり、バリエーションも増えていきます。けれど、1961年に同社が発売した初の量産軽四輪自動車三菱360の売上げが好調で、1964年にスクーターの製造をやめて4輪に転向。このC-140143ccC-240とともに最終生産モデルとなります。

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排気量の割に立派な車格で、なんとなく当時のアメ車を彷彿とされるデザインですが、ホワイトリボンのタイヤにフロントのアールズフォーク。エンジン廻りも非常に凝った贅沢な造りです。吸排気の処理なんか凄いなと思わせます。また、エンジンと駆動系を一体化してリアサスとしてスイングさせると言うスクーターの基本レイアウトも確立されていたりして中身を見ていても飽きませんね。オーバーフロー防止?の燃料クリップはご愛敬と言うところでしょうか。


8・ヤマハ FS-50 49cc 1970

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1969年に発売された、プレスバックボーンフレームに、6.0ps/9.000rpmというトップクラスのオーバースクエアタイプの高回転・高出力エンジンを搭載した50ccロードスポーツ。レーサータイプのシートと前後に長い形状の燃料タンク、一文字のハンドルなど、精悍でスポーティなスタイリングも特徴のヤマハFS-1。のマイナーチェンジ版がFS-50

マイナーチェンジと言ってもグラフィックの変更とハンドルが一文字からアップハンドルになっただけで、正直FS-1の方が格好良いと思うんだけどなあ。

当時は原付ノーヘルOKの時代。青いFS-1にバイザータイプのクリアなサングラスをかけて、ノーヘルで白煙とともに走るのが流行ったのは私の廻りだけかしら?赤白もあったけど、やっぱり青い方が好きですね。

オーナーさんも同じ思いらしく、程度にかかわらず、FS-1切望とのことでした。どうせ同じなんだから、ハンドル変えて塗れば同じでは?と思われるかも知れませんが、そこは「こだわり」と言う奴ですよね?Mさん。


9・ヤマハ ミニトレール FT-1 49cc 1971

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「ミニトレール」というジャンルを創ったモデル。ヤマハトレールシリーズと同じ、ダブルクレードルフレームにセリアーニ式フロントフォーク、セパレートメーターと言う本格派。それにパワーをおさえ,トルクを増やしたFS-1と同じロータリーディスクバルブの2ストローク・50ccエンジンを積んでます。グラフィックもAT-1DT−Ⅰと同じで、まさしく「ミニトレ」その後GT50、GT80と進化しますが、これにAT-1のエンジンを積んで、(簡単に乗るんですよ!)当時流行したミニバイクレースに出た方も多いのでは?

実は私、始めて意識してギャップでジャンプをしたのはこいつでした。確か、ヤマハが飛び方の分解写真みたいなので、案内をしていたと思います。


10・カワサキ A1 (SAMURAI) 247cc 1967

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「世界最速の250cc」を謳ったカワサキ2stスポーツの250-A1(北米名250SAMURAI)。ライムグリーンが生まれるキッカケとなったバイクです。

このバイクが登場した1967年というのはカワサキがメグロを吸収した頃、650W1がフラッグシップモデルだった時代。

川崎重工は元々エンジンメーカーとしてかかわっていたのですが、1961年から125ccB7と言うバイクを売り出します。これが失敗作でフレームが折れると言ったクレームの嵐になってしまいます。それでB8と言う改良版を出すのですが,落ちた評判を取り戻すのはレースだ.という事になって、地元のモトクロスに出場、1〜8い独占という結果を出して全国に進出。それが好成績で、口コミで大人気になります。関東圏ではカワサキブランドが浸透してなかったのが幸いしたのですね。この勢いに乗って、次はアメリカ。と言うわけでもないのでしょうが、すでに他メーカーは北米進出を果たしていたので、それに対抗するために国内レース向けに開発していたA1Rの公道仕様、2ストローク並列二気筒エンジンでクラストップの31馬力。レーサー並の剛性を持った質実剛健なダブルクレードルフレームを持つ250-A1(北米名250SAMURAI)を発売します。A1は圧倒的な速さと安定性を持っていたことから日本でも話題となりました。2シリンダー、2ロータリーディスクバルブ、2キャブのトリプルツインというわけです。これの成功が後のマッハシリーズにつながっていくわけです。


11・カワサキ 500SS-KA「平デスビ」 490cc 1970

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そしてマッハです。それも初期型のえぐりタンク。実際はえぐれているんじゃ無くて、リブが出っ張ってるんだけどね。

このバイクを始めて見たときのインパクトと言ったらなかった。なにしろ、信号グランプリの王者。当時としては画期的なリッター120ps。3速ぐらいまではフロントを持ちあげ、もうもうたる白煙と共にかっ飛んで行ってしまう。信号グランプリの王者でした。

フレームに対して完全にオーバーパワーで、曲がろうとするととんでもない、じゃじゃ馬。当時これを選ぶのって結構勇気が必要でしたね。「500750食えるんだぜ。」ってノリで買ったけど、あまりのじゃじゃ馬ぶりと燃費の悪さで、やせ我慢しながら乗っていた。と言う人も多かったのではないでしょうかね?

白煙が凄すぎて,こいつの後ろを走るとオイルが飛んできて汚れるんですよ。だからみんなで走るときは、「マッハは一番後ろ!」って言われたもんです。もう出てこないだろうなあ。こういう楽しいバイク。


12・ブリジストン GTO350 348cc 1971

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ブリジストン350GTR/GTOシリーズの総生産台数は10282台という事になっていますが、その内1969年末に追加されたGTOはおよそ2000台。国内販売はしていませんから,相当なレア車という事になります。ホワイトパールにブラックラインは7071年に生産されているので、スクランブルバージョンのこの車両は最終生産型ということになります。

ブリジストンがバイクを作り始めたのは1952年のバンビー号ですから結構古いメーカー。そんなブリジストンが1967年からフラッグシップとして生産を開始したのが350GTR。2ストローク2気筒ロータリーディスクバルブで38PS、レーシングパターンの6速ミッション、国産初の乾式クラッチ搭載 等々、当時としては先進のスペック。北米への輸出中心に販売したけれど、マニアの間での評判は高かったものの、当時の価格がTRIUMPHのボンネビルとどっこいだったため、9000台ぐらいしか売れず、作れば作るほど赤字になったそうで、この350GTOを最後にオートバイの生産をやめ、タイヤメーカーに宣戦することになります。格好良いバイクなんだけどねえ。


13・ホンダ エルシノアMT250 249cc 1973

14・ホンダ エルシノアMT125 123cc 1973

15・ホンダ エルシノアMT125 123cc 1973

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MT2501票差で今回のグラン・プリ。エルシノアと言えば筆者の世代がまっ先に思い浮かべるのは、スティーブマックイーンがCR250Mを駆って砂漠を自由自在に駆け回るホンダのコマーシャル。

時は1972年。夏。アメリカ南西部のく広大なインディアン・デューンズ・モトクロス・パークで、開発中のHonda CR250Mとスティーブ・マックィーンは、運命の出会いを果たします。

宗一郎氏を含むホンダのテストスタッフの元へCZをトランポに積ん打男が突然現れます。静止する間もなく男は無邪気に笑いながら、「すっげ~、Honda2ストロークもやってるのかい?」とほざいたその男こそスティーブマックイーンご本人。「こりゃ~Beautifulだ。ぜひ、俺にも乗らせてくれ!」という事がきっかけで、その翌年ホンダはスティーブマックイーンとCM契約を結び出来上がったのが件のコマーシャル。これは生涯で唯一、スティーブ・マックィーンが契約したコマーシャルだそうです。

契約期限後ポスターなどは返却となった為、残っている宣材は非常に少ないんだって。

トランポからバイクを降ろし、装備を調えて、中間とともに砂漠を駆け巡る。世の中にはなんと自由で素敵な遊びがあるものだと感激したのを覚えています。映像は今でもYouTubeで見ることができます。


ホンダエルシノアは、ホンダ初の本格的2ストロークエンジンを採用したデュアルパーパスモデル。その名前はカリフォルニアのレイク・エルシノアで毎年初夏に行なわれるクロスカントリーレース「エルシノア・グランプリ」から来ています。元々は協議専用モデルでCR250Mと、CR125Mがありました。

1973年に250ccクラス・125ccクラスが同時発売。空冷2ストローク6ポートピストンバルブの短気筒エンジンは、日常の使い勝手を考えたチューニングや潤滑方式の混合から分離への変更がされているけれど、基本設計は共通でその他多くの部品もモトクロッサーからのキャリーオーバ。デュアルパーパスモデルとして保安部品を装着しているけれど、モトクロスレースへの参加も考えた、簡単に取り外し・再装着ができる構造。上述のCRシリーズ車と共通オプションも設定されていました。

なお、イメージキャラクターはもちろんスティーブマックイーン。

発売直後に第1次オイルショックが発生。またホンダ初の本格的2ストロークエンジンでという事もあり、トラブルも多く、1975年に後継モデルとして4ストロークのXL250XL125へモデルチェンジされ生産終了になりました。


15・スズキ TM125 123cc 1973

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国内モトクロスレースで活躍したワークスマシンRAをベースにした市販モトクロッサーがTM125

クレードル型パイプフレームに、ブラック塗装の2サイクル単気筒エンジンを搭載。放熱効果の高いアルミシリンダーやPEI(スズキの言う無接点点火方式)を採用したエンジンは、最高出力22PSを発生。トランスミッションは、クロスレシオタイプの5段リターン式。その他、ニーグリップしやすい細身の燃料タンク、RHタイプのシート、セリアーニタイプのフロントサスペンションなども採用されました。

スズキの125cc市販モトクロッサーは、その後改良を続け、2004年のRM125まで続きます。


17・スズキ ハスラーTS185ER 183cc 2005

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今や、ハスラーと言えば4輪の方が通りが良くなってしまいましたが、TSというのはスズキの2ストロークオートバイにのみ許されるコード。国内ではすでにカタログ落ちしていますが、まだ主に南米で活躍しており、並行輸入で新車が買える数少ない2ストロークモデルとなっています。183cc100kgちょっとの車重。70年代のハスラーを彷彿させるデザインで今でも人気です。音もマイルドで乗りやすそう。どうやらオフロードを攻めると言うよりは、使いやすい旅の足と言うような使われ方で人気のようです。


18・ホンダ スカッシュ 49cc 1981

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49㏄の強制空冷2ストロークエンジンを搭載した、Vベルト駆動のミニバイク。

全長x全幅x全高=1,280x610x930mm)前後ホイール3.00-8というミニサイズがセールスポイントで、ほぼ同時期に発売された、ホンダシティの純正オプションとして設計。モトコンポと同様、車載も可能となるようハンドル折り畳み可能なモデルも設定されています。と言うか同じハンドルだよね、これ・

乾燥重量は46kgと、モトコンポよりちょっと重いけど、最高出力はモトコンポの2.5ps/5,000rpmよりちょっとm3.0ps/6,000rpmVベルト駆動だけど、固定プーリーの単段。電装系は6Vだけど、セル付のデラックスだけ12V。イメージキャラクターは何とタモリ。

カラーバリエーションは、ホワイト・レッド・ブラックと「スカピン」の4色。

何故か、この時期のホンダは4輪に2輪の「ジュニア」を積みたがるのですが、でも使いこなしていたのは、何処ぞのミニパト二人組だけのようですな。


19・ヤマハ DT125R 124cc 1988

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DT125Rは、1974年にDT125Aとして発売されて以来、モデルチェンジを繰り返し、1982年には水冷化され、84年には12Vになり、87年には前後ディスクブレーキになって、このDT125Rとなります。

それより何より、このDTとオーナーさんは、浅間に来たことのある人は必ず会っているだろう名物会員。常に本部テントのあたりにいます。そしてこのDTでどこにでも行っちゃう。他にも750も持っているんですけど、こっちの方が乗りやすいのか、かなりの距離をやってきます。浅間の良い時期の、会員さんや地元の方への良い気の使い方を知っている方です。筆者とは、バイク仲間で猫仲間でもあるのかな?


話はオーナーさんとも、バイクとも離れて、この先は筆者のつぶやき。暫しお付き合いください。

浅間の良い気の使い方。ってのは色々あるけど、例えば今回のミーティング。来られた方にしかわからない話になるけど、次回どこでミーティングを出来るか、現時点では未定なのです。だから会場になったグラウンドをまたお借りする事になるかあも知れません。また、あそこは街のボランティアによって管理されているような所。確かに使用料は安いけれど、地元の方が手弁当で管理している。だから、我々が帰った後、吸い殻だらけ、ゴミだらけには出来ません。弁当の空き箱やペットボトルの始末に事務局のみんなが気をつかっていたのにはそういうわけがあります。口うるさいぐらいで丁度良いんです。

また、トイレをお借りした会館も、普段は女性の方が一人で管理している所、あの建物の掃除や備品の管理を一人でやっているのです。だから、事務局の皆さんが、通路や雨天で使うかもしれないホールの床を養生してあったんです。またおかりする時が来たら気持ち良く貸してもらいたいじゃあないですか。

もちろん見落としはあります。トイレットペーパーの補充とか、部外者の対応とか。そういうときに、会員さんみんなが意見を言うだけじゃあなく、率先して対応して行く。と言うのが浅間の良い所だと思っています。

人の世話にならないとミーティングに来れないくせに、と言われれば一言もありません、爺のつぶやきと聞き流してください。ありがとうございました。


20・ヤマハ RZV500R 499cc 1984

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今季のスピリッツもいよいよ最後です。最後を飾るのはRZV500R。このバイクのスピリッツ、デレガンスの記事を書くのは確か3回目。最初の記念館がオープンした時もこれで来られてましたよね。バイクもオーナーさんも益々お元気でお慶び申し上げます。

さて、RZV500Rです。GP500クラスに出場していたヤマハのワークスレーサーYZR500 (0W61)の欧州向けレプリカモデルRD500LCの日本仕様。

 ワークスレーサーはあのケニーロバーツも開発に苦戦した難物だったようですが、このバイクにも「限定解除」という難関があったようです。NS400RRG400Γと競争しなきゃならない上に高かったもんなあ。

V4」と高らかに謳っていますが、実は前バンク2気筒と後バンク2気筒がそれぞれ独立してクランク軸を持ち、2つのクランク軸に前後から挟まれる形でバランサーシャフトを内蔵した出力軸が置かれていという2軸クランクの構造で、前2気筒がクランクリードバルブ式、後2気筒がピストンリードバルブ。だから、実際には50度傾斜のスクエア4。ということになります。前2気筒のエキパイは、普通に前から下を回って出ているけど、後ろ2本は後方排気でリアサスのリンクやウインカーを避けなくちゃならなくてかなりややこしい配置。

 そのためかアイドリングでは、バラバラバラと言う感じの排気音ですが、スロットルを開けた途端にその音がまとまって、一気にバオンと吹け上がる。とても気持ちの良い瞬間をまた味わせてもらいました。

個人的にも何かと思い出多いバイク。これからも元気に素敵な排気音をとどろかせていって下さい。


色々勝手なことを書きましたが、今回はここで終わりです。誤認識がありましたら見逃してくださいね。ではまた。次の機会に。

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