99th. 浅間ミーティング・コンクールデレガンスのバイク達 また見て来たような嘘をついてしまいました。
(今回は構成上の都合により、エントリー順ではなく会報掲載順です。)
ベロセット MSS 500cc 1958年
97回のデレガンスに、同じオーナーさんが出場し、グランプリをとったのが、250ccのMOV、1933年から戦中1948年まで製造されました。それの500cc版が、今回のMSSということになります。
1933年に、ベロセットはOHVモデルを導入することを決め、それは1930年から引き続く世界恐慌下で、いかにして製造コストを下げ、且つより手頃な価格帯のモデルを製造するかを突き詰めた結果でした。それまでのKシリーズは製造コストが高く、また高度な職人の技術を必要とするベベルギヤのカムシャフトを備えていました。
そこで、よりシンプルで、より早く製造でき、ま高度な職人技術を必要としないOHVエンジンが次のモデルに選ばれました。そのOHVエンジン最初のモデルが250ccのMOVでした。ボア・ストロークは共に68mm「のスクエア」。 MOVはすぐに成功を収めました。当時としては高速の部類に入る126km/hの最高速、加えて安定感のあるハンドリングなどが好評を博しました。
このMOVの成功を受けてすぐに、ストロークが伸び350ccとなった後継モデルMACが1934年に、さらに排気量の増した500ccのMSSが1935年に発表されました。
高度な製造技術を必要としない、という事は、メンテナンスも楽。そのあたりも人気を呼んだ理由の1つかも知れません。
この車両はオーナーさんが40年前に入手、500も乗ってみたくなったんでしょうね。
それにしてもオーナーのさん、94回のヴィンセントの「Series A Rapide」といい、黒に金の英国車にすっかり魅せられてしまったようです。また、それがよく似合うんだよね、うらやましい。
マーチン製作所 マーチンH 250cc 1957年
国産オートバイメーカー戦国時代末期の1956年、日本初の250cc級2サイクル2気筒エンジンを搭載したモテルが、当時兵庫県神戸市にあったマーチン製作所から販売されました。
エンジンは、この時代の標準汎用エンジンメーカーとなるガスデン製2気筒。ドイツ製のアドラーを参考にしてはいますが、ミッションの構造に手を加えるなど独自のアイデアも盛り込まれています。
この時代、ほとんどのメーカーはアッセンブルメーカーでした。
今回出場のモデルは1957年型で、ホーンやイグニッションコイルの位置が変更され、へッドライト下にスモールランプが付いたもの。1950年代車大好きのオーナーは、バーンファインドで、昨年の1月に譲り受けた不動車を再生。その時の話は会報記事で詳しく書かれています。
BMW C1 200 Bertone 176cc 2001
BMW初のスクーターというよりは、4輪の様に乗れる新しい発想のミニマムトランスポーターを目指して生まれたのがC1。
ロールバー形状の、ルーフまで囲ったフレームや衝撃吸収材で囲まれたシートにシートベルトを着用して乗ればヘルメットは不要。と言ううたい文句で、ベルトーネデザインのお洒落な外観に包まれた乗り手は果たしてライダーMなのか、ドライバーなのか?というのがねらい。
でも結局は中途半端。ノーヘルで乗れるはずが。そうはいかない。と言う国(英国と日本)があらわれたり、ヘルメットをかぶって乗ると頸椎損傷の危険がある事も判明、また必然的に重くなり、車体重量は180kgを超え、175ccでは非力。僅か2年で製造は中止。結果レア車、迷車となって、コンクールに参加することになりました。格好は良いんだけれどねえ。
土井産業(株) フライバード TN 143cc 1951年
直立単気筒(OHV)150ccの排気量を持つ「フライバード」戦後いち早く本格的オートバイ生産に参入した名古屋の土井産業が、およそ5,000台製造したもの。当時の5,000台とは、企業規模からしても、たまげた生産台数だよね。
ガソリンコックを開き、ティクラを押えてたっぷりオーバーフローさせる、数回のからキック、掌でキャブの吸入口を塞ぎキックを開始する。というのが始動の儀式。サイドバルブエンジンが多く見られた当日、開発からOHVを目指したポリシーは評価されてよいと思います。
この車両は、現在76歳となる津島イトーモータース社長の伊藤徳尚さんが、6歳の時に愛知県津島市の天王川レースにデビューし少年の部で優勝したマシンのオマージュで、競技車両ではありません。
オーナーの冨成さんは、愛知県で名古屋郷土二輪館の館主をしている有名人。浅間にも何回かいらしています。
ヤマハ発動機(株) YD1 250cc 1954年
ヤマハ発動機は先に発売した125Cc級YA1における競技での好成績が販売戦力に繋がったと判断し、250cc級ファーストモデルであるYD1製造、YD-1が2気筒である事も、その先を見越したものと推察されます。
今回初参加の車両オーナーは、叔父様が1959年の浅間クラブマンレースにヤマハで参加していた事をキッカケにYDS1を探す様になり、先に程度の良いYD1を入手。昨年は浅間TTレースに当YD1で参加。取付けられたゼッケンは、その親戚の物を模したもの、当時実際に使用された物も所有されています。
さて、そのネーミングですが、Aが125cc、Dが250、というのはこれがはじまり。その後Rか350というのが、DT-1、RX350まで続きます。で、YD-1のレーサーはスペシャルのSがついて、YDS-1。
ちょっとまって、YDS-1と言うのは、後のホワイトソックスのやつじゃあないの?さらにレギュレーションで車種毎に出場台数に制限があるのに、ボアxストロークをほんのちょっといじった実質同一モデルを別車種であると言い張って他のメーカーの倍の台数を出場させるといったせこいまねをしたりするから、もうわけがわからなくなってます。
で、マニア達は浅間スペシャルを250Sと呼ぶようになりました。だから、特別参加の赤い奴は250Sなわけですね。
本田技研工業スポーツカブC111 49cc 1960年
OHVのホンダC100が発売されたのが1958年。その2年後にスポーツモデルとして発売されたのがスポーツカブ。
一見すると、C100から余計なものを取っ払ってスポーツルックにしただけに見えるけど、フレームは新設計。
ハイコンプピストンやシリンダーの変更など、色々やってC100の4.3psから5.0psにパワーアップ。ミッションもレシオを見直したマニュアル3速(64年からは4速)。のエンジンを新設計のフレームに積み、バーハンドルにアップマフラー、ニーグリップラバー付きのタンクと,あの頃のスポーツタイプの定番ルックに仕立て上げ、カタログ最高速度85km/h。
あの頃は法定速度の3倍近いデータを堂々と謳っても良かったんだよねえ。CB750Fourなんか「最高速度200km/h」だもの。良い時代したよ。
当車両は、納屋で放置され処分に困っていた方から入手した物を21年前にレストア。今回エントリーにあたり1週間程前に再始動をしたが、あちこちの劣化が目立ってきたので、好きな方が居れば放出も考えているとの事。
(本文は拙ブログを1部加筆修正したものです。)
本田技研工業 スーパーカブ C105 154cc 1964年
先述C100のバリエーションモデルである当車両は、外観上の変更はほぼ無いまま、ピストンボアを変更し排気量を上げ、2段階右折や2名乗車ができる原オーナーさんは3年程前に物置きで放置されていた物を入手。
参加直前に点火系の不具合が出た為、車載でのエントリーになったとはいえ会場では軽快な走行をお披露目する事ができました。
原付が初めて登場したのは1953年の事。
それまでは軽二輪免許が必要だったんですが、届出(審査)式による許可制として創設。要するに申請すれば誰でも4st:90cc|2st:60ccまで乗れました。
これはホンダのカブを始めとしたモペットが庶民の足として広く普及し始めた事からです。
原付が一種許可と二種許可に分けられ4st/2stによる排気量制限を廃止。
1960年には道路取締法が道路交通法へと改められ、原付も免許制度(許可から免許)になり試験を受けて合格しないと乗れなくなりました。
同時に最高速度30km、二人乗り禁止になりました。そうなると困るのがそれまでのユーザー。いきなりダメと言われても困るよね。
免許は取るにしても車両も考えなければならない。そこで生まれたのが55 CCのC 105と言うことになります。C 100と値段もほとんど変わらないので普及しました。黄色いナンバーのカブの登場です。
この車両は、またもバーンファインドで、物置きで放置されていた物を入手埃は相当積もっていたものの保管環境が良かった為、(まあ、カブですから)塗装やメッキ類も発掘した状態を丁寧に磨き上げただけ。参加直前に点火系の不具合が出た為、車載でのエントリー。とはいえ会場では軽快な走行をお披露目する事ができました。
実はオーナーさんの倉庫もほじくり返したら、何が出てくるかわかんないんだよね。私も以前お世話になりました。その節はお世話になりました。
ブリヂストンサイクル工業(株) 350GTR 345cc 1967年
ブリヂストンがバイクを作り始めたのは1952年のバンビー号ですから結構古いメーカー。
そんなブリヂストンが1967年からフラッグシップとして生産を開始したのが350GTR。2ストローク2気筒ロータリーディスクバルブで38PS、レーシングパターンの6速ミッション、国産初の乾式クラッチ搭載 等々、当時としては先進のスペック。北米への輸出中心に販売したけれど、マニアの間での評判は高かったものの、当時の価格がTRIUMPHのボンネビルとどっこいだったため、9000台ぐらいしか売れず、作れば作るほど赤字になったそうで、この350を最後にオートバイの生産をやめ、タイヤメーカーに宣戦することになります。格好良いバイクなんだけどねえ。
まだ若いオーナーが11年前に初購入したのがこの車両。当時は訳もわかず不調続きだったが、今では部品調達等も功をし快調に走らてます。迫力ある専用チャンバーはUSカルフォルニア製でこだわりの逸品。
本田技研工業 ドリーム CB450 セニア 440cc 1968年
世界グランプリで好成績を収め、輸出にも力を注ぎその名を知らしめた「HONDA」グランプリ車両を想起させるDOHCエンジンを搭載した初の量産想定車両、CB450を1965年に発売。
しかし高回転高出力は世界で要求されていた物とは違い、「世界のホンダ」と呼ばれるにはCB750の登場まで時を待つ結果となります。けれどそのスペックの大排気量車は稀に見る仕様でもあり、魅了されるファンも多いんです。
実は私、プロの先輩から教わりながら、生まれて始めてオイル漏れを起こしたヘッドのオーバーホールをしたのがCB450の通称K1。トーションバーのバルブスプリングにCVキャブと、そのまま2つ並べて4気筒の900は作れないかなんて夢想していました。
オーナーさんはレース仕様を含め計5台も所有する450フリーク。クラッシック車のレースでは、その高回転ぶりを楽しんでいるそうです。
ところでこのエンジン。N360のエンジンのベースになったんですね。勿論ヘッド周りは別物ですが、クランクケースやクラッチあたりはそっくりです。
Moto Guzzi V1000 Convert 949cc 1975年
会報でオーナーさんが言っているように、確かにけったいなバイクだよね。
V7系の850を、1000まで拡大し、シャフトドライブ化。と、ここまでは良し。それにザックス製のトルクコンバーターを接続。
なんのために?
クリープで転けちゃうから、サイドスタンかけるとワイヤーが引かれリアブレーキが掛かり、クラッチレバーを握らないとセルフスターターが回らない。発進にレバー操作の必要はないけど、セレクターはクラッチにぎらないと操作できない。メーカーはこれを警察向けにつくったらしいけど、
普通のギアでよくね?
ケッタイなバイク大好きのオーナーさん、面目躍如
Harley-Davidson FXEF SUPER GRIDE 1341cc 1985年
ハーレーダビッドソン社と言えば横置きVツインエンジンの代表格として世界中で知られる存在だろう。当エントリー車は、古さを感じづらいが販売から40年経った立派なビンテージだ。
更に云えば当時旧モデルのショベルヘッドフレームとクランクケースに新型のエボリューションヘッドが搭載された当モデルは1年も販売されていなかった様で、カスタムも殆どされていない個体は珍車の部類と思われる。ハーレー界隈のみならず充分に「アサマ」ではないだろう
か?
すいません。私はハーレーが苦手です。
特別走行 ヤマハ発動機(株) ヤマハスポーツ 250 S 246cc 1959年
1959年にリリースされたヤマハ最初のスポーツ車として知られるYDS1、250cc級車両だが、先だってメーカーからスポーツ250Sの名で先行伝が始まっており、そのイメージモデルには当時の若者達から絶大な人気を集めていた石原裕次郎が起用された事からも、その力の入れようが見出せるだろう。その初期広告等に使われた車両は、実際市場に出回った車両と複数の相違点がある。大きく違う点はカラーリングだ。メッキされたガスタンクに空色の塗色、逆にメッキではない形状の違う前後フェンダー等、更に細部となれば多数と思われる。そんな初期量産試作車が数台存在し、マニアの間ではYDS1と区別する為250Sと呼ばれている。
今回特別招待して走行いただいた車両は、そんな初期ロットの250S。更には1959年の策2回全日本モーターサイクルクラブマンロードレース(第3回浅間火山レースの併催)で好成績を挙げそうな有力なライダーに贈られ、その結果シニアクラスにて鈴木三郎氏を優勝にまで導いた実車両だ。
この車両がこの場で走行するに至るまでは数多くの努力とドラマがあるが、今回は紙面の都合により掲載できないため、走行していただいた実孫さんに筆を譲り、次号以降に詳細を記していただきたいと思っております。
お楽しみに!
と、いうことなので、あえて加筆はひかえさせていただきます。
以上で終わりです。今回は、依頼があったので、実際に参加していない回の記事を会報を参考に加筆したものです。不都合等ございましたらご容赦ください。
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